前回の記事では、担当学年の生徒に対して行った『生徒実態調査』という無記名のアンケートのことを紹介しました。
前記事の中ではアンケートを集計して分かった平均年齢や通学距離等の基本的な生徒の情報のほかに、好きなor 嫌いな教科やスポーツ、食べ物などについて尋ねた際の回答をまとめて記載しました。
今回はそれらとは少し違ったタイプの質問への回答をまとめ、他国の子ども・若者の回答との比較をしてみたいと思います。
質問を考える際に参考にしたのが、内閣府の『子供・若者白書』(旧 青少年白書)というものです。子供・若者白書は毎年国会へと提出される年次報告書で、日本の未来を創る若者たちの人口、健康、生育環境、生活行動・意識に至るまでの様々な調査結果がまとめられています。
(オンライン上に結果が掲載されているので、興味のある方はこちらをご覧ください→『子供・若者白書について』)
その中でデータは26年版のものとなりますが若者の意識調査に関わる回答で興味深い国際比較がなされていたので、今回同じ質問をマラウイの生徒にも投げかけてみました。マラウイの生徒だけでなく日本の若者の内面にもせまりつつ、今を生きる子どもたちの意識について考えてみたいと思います。
紹介する質問は下記の5つで、全ての質問に“はい”もしくは“いいえ”で答えてもらいました。
・自分自身に満足しているか?
・自分の参加により社会現象を変えていけるか?
・自国民であることに誇りを感じるか?
・親から愛されていると感じるか?
・学校生活に満足しているか?
これらの質問への回答をマラウイ、日本のほかに韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンのデータと合わせて、比較させつつ紹介したいと思います。
最初の質問は ”自分自身に満足しているか?” です。
この質問では若者の自己肯定感(自分自身を尊重し、価値のある存在だとみなす意識)の度合いを知ることができます。
結果を見ると日本人は自己肯定感が低く、よく言えば謙虚、悪く言えば自分に自信のない国民性であるということができるのではないでしょうか。
マラウイを見てみると91.8%と、日本の倍以上の者が自分自身に満足しているという結果となりました。確かにマラウイ人の生徒は堂々としていて、「自分」を持っている感が日本の子どもたちよりあるような気もしました。
”自分の参加により社会現象を変えていけるか”という質問では、若者の社会形成・社会参加への意欲や積極性といった気質を測ることができるとされています。
この質問においても、日本は他の先進国と比べ社会形成・社会参加への意欲や積極性が低いとみなすことができます。
対してマラウイはどうかと言うと、先進国7か国に圧倒的な差をつけ1位という結果となりました。確かに先進国に住んでいて先進国を変えていくことよりも、未だ発展段階のマラウイを間近で見て「マラウイ社会を変えていってやる!」と思う方がハードルは低いようにも思われます。
もしくは先進国でより長い教育年数を重ねるごとに、現実を知り、それを変えていく難解さにも気づかされることが多いのがマラウイ以外の7か国なのかもしれません。
次に自国に対する認識を知るための質問として、かなりストレートにも思えるが ”自国民であることに誇りを感じるか?” というものがあります。
結果を見ると「意外」と言ってはおかしいかもしれませんが、日本は先進国間では平均的な値となりました。日本人は日本人であることをそれなりに誇りに思っているようです。先進国間では韓国がやや低いものの、この値に大きな差は見られませんでした。
しかしマラウイは85.7%と、この質問においても1位という結果となりました。これは数字以上にマラウイにいて体感できているような気がします。
なにかにつけて「マラウイは何もない」「マラウイは貧乏だ」と口にするマラウイ人ですが、皆がこの国を愛している感をひしひしと感じます。特に『戦争を一度もしたことのない平和な国』であるマラウイを誇りに思っているように感じ、私としてもこの結果には大いに納得できました。
親からの愛情を受けていると感じているかどうかも尋ねてみました。
マラウイ以外の先進国の若者も、軒並み高い割合で親から愛されていると感じていますが、マラウイは別格と言っても過言ではありません。回答者全員が親からの愛情を認識していました。
寮に暮らし、親と離れて暮らす生徒も多い中、100%という数字が結果として表れたことは、マラウイの家族の絆の深さを示しているような気がしてなりません。
唯一幾つかの先進国よりマラウイの割合が下回ってしまったのが学校生活への満足度でした。
けっしてマラウイも低い値ではないのですが、1人の教師として喜べはしない結果となりました。マラウイのほかに値が低い国として日本、韓国がやや欧米諸国の平均を下回っています。
仮説ではありますが、受験の厳しさが学校生活の満足度を下げているようにも見えました。マラウイもそうですが、日本や韓国は「受験戦争」という言葉があるくらい学歴に厳しい国です。
対してアメリカをはじめ、欧米諸国では一度社会人となってから大学に入学するパターンや、ギャップイヤーと呼ばれる期間を経てから勉強をリスタートさせることも社会的に広まってきつつあり、受験のプレッシャーが比較的低いのではないかと感じられます。
その心の余裕が学校生活を充実させる1つの要因にもなっているのではないかと推測してみました。
私は生きる上での”豊かさ”には『経済的』なものと、そうではない『精神的』なものがあると考えています。
質問の選択にもよりますが、今回の結果を見る限りではマラウイ人生徒は日本や他の先進国の若者に比べ『精神的に豊か』に生きていると言えるのではないのでしょうか?
事実マラウイの生徒を相手にしていて感じることは、日本人の生徒よりもはるかにのびのびと暮らしている、ということです。親からの愛情を充分に感じ、自分に自信と誇りを持ち悠々と生きられるのは先進国よりもマラウイの環境なのではとも考えてしまいます。
先進国に生まれた方が経済的には豊かであることは否定できません。
しかし本当に幸せに生きていけるのはどちらなのだろうと考えさせられます。
お金があるが故に起こる困難・しがらみから解放されて生きていける方が、もしかすると豊かな暮らしを送ることができるのかもしれません。
「お金がない」と嘆くマラウイではありますが、この朗らかなマラウイ人の生活が経済発展と共に消えてなくなってしまうのであれば、”発展”とは名ばかりのもので、逆に大きな損失をももたらすのではないかと思ってしまいます。
日本という経済的に豊かな国に生まれた私の視点からものを見るとそう思ってしまうのかもしれませんが、仮にそのような経済発展が進んだ際に、マラウイ人たちが過去の自分たちの暮らしを顧みてどう思うのか、少し気になってしまいました。
(持論として)マラウイは経済的に豊かでなくとも、精神的には先進国に負けない豊かな暮らしをしている 。