【転載:月刊アフリカニュース】マラウイの学び舎 ‐理科教育を通じた全人教育‐

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青年海外協力隊の宮崎充正です。

かなり遅くなりましたがあけましておめでとうございます。

早いものでもう新年があけて1か月が経ちました。最近はPCの故障等にも悩まされブログをUPできておりませんでしたが、ようやく体制も整えられたということで更新を再開したいと思います。

気づけば派遣から1年、楽しい瞬間も苦しい瞬間もありました。

そんな1年間で得た気付きを顧みる機会を、この度は『一般社団法人 アフリカ協会』様よりいただき、拙文ながら「月刊アフリカニュース No.51」に寄稿させていただきました。

(リンク:アフリカ協会HP

(PDF:月刊アフリカニュース No.51

以下、その際に書いた文章の転載となりますが、自分の今の気持ちを忘れぬようブログに載せておきたいと思います。

(文章をです・ます調で書かなかったので、自分で読んでみても違和感があるくらいなのですがご了承下さい。)

マラウイの学び舎 ‐理科教育を通じた全人教育‐

マラウイの学び舎 ‐理科教育を通じた全人教育‐

  平成 27 年度 3 次隊 理科教育 宮崎充正

未開の地。これが現在のマラウイの状態を表す最適な言葉であると感じている。

一人当たりGDP、人口増加率、就学率、5 歳未満児死亡率など、数多くの指標で開発途上国平均を下回るこの国は、疑いの余地もなく世界最貧国の 1 つと言える。近隣アフリカ諸国と比べても発展の度合いに遅れがみられるマラウイにて、私は2016年1月より理科教員としての生活をスタートさせた。

その中で得られた見解、特に教育現場における気付きを、マラウイという国の紹介と共にここに記したい。

マラウイという国

1964 年に英国より独立を果たしたマラウイ共和国は、アフリカ大陸の南東部に位置する内陸国である。海に面していないという貿易面において不利な立地に加え、化石燃料・鉱物といった天然資源にも乏しく、経済開発という視点で見れば多大なハンディキャップを負っている。常に財政面での課題を抱えており、2012年には国家予算の 4 割が海外支援に依るものとなったこともあった。

まさに貧困の罠から抜け出せなくなった国家の姿そのもののようにさえ思える。

ここまでネガティブな一面ばかりを述べてきたが、もちろん良い面も存在する。1 番の魅力はマラウイ人の気質そのものである。“Warm Heart of Africa(アフリカの温かき心)”と 称される穏やかで人当たりの良い国民性は、この国の誇る最大の財産であろう。独立以後 一度も戦争や内戦を経験したことのないこの国の姿には、現代社会にとって学ぶべきものが多い。先進国にはない、昔ながらの人の温かさがここにはあると感じられる。

抱える問題は少なくないものの、国として魅力は他国にも引けを取らない。このような地で様々な国がマラウイの開発支援のための事業を行っている。経済・インフラ・医療・農業・教育分野など、その範囲は多岐にわたる。

我が国のボランテ ィア事業としては、現在 70 名以上の青年海外協力隊員が全国各地に派遣されており、草の根レベルからの援助に尽力している。 私が配属されたのはンベンジェレ中高等学校という、隣国モザンビークとの国境にそう遠くない場所に位置する公立校 であった。

ンベンジェレ中高等学校の校舎

 

教育制度と学校

マラウイの学校教育は、日本の初等教育にあたるプライマリースクール(primary school) が 8 年制、中等教育にあたるセカンダリースクール(secondary school)が 4 年制という、英国式のシステムを導入したものとなっている。それぞれの最終学年の最後には国家試験が控えており、その試験結果によって進学が決められる。

私の勤務するセカンダリースクールへは、30~40 パーセントの国民のみが進学している。プライマリースクールまでは教育費用が政府負担であるため比較的通いやすいとされているが、セカンダリースクールは学費を自己負担しなければならない。ほぼ 100 パーセントの就学率を持つ初等教育と比べ、中等教育の就学率が低くなるのはそうした要因も作用しているからである。

こういった現状からも、高等教育に多くの国民が到達できる日本と、絵に描いたような開発途上国であるマラウイとの差が自ずと感じられる。

山積みの課題

日本との差はシステムや統計上だけでなく、学校内部で起こる事象からも見ることができる。「生徒が目一杯に詰め込まれた教室」「不十分な教材・教具」「生徒・教員のモチベーションの低さ」「授業の質の低さ」など、挙げ始めればきりがない。簡単にではあるがそれぞれについて説明したい。

人口増加の止まらないマラウイでは教員養成、学校建設が生徒数の増加に追いついていない。したがって 1 つの教室、1 人の教員に対する学習者数が増加を続けており、結果とし て 1 つの授業当たり 100 人近くの生徒が割り当てられることもしばしば起こる。私の授業では 60~70 人の生徒を一度に教えることとなっており、100 人には到達していないものの、 日本の教室との差に赴任当初はギャップを感じずにはいられなかった。

また教材・教具は大抵どの学校も不足しており、特に私の担当科目である理科は実験器具が毎回のように不足する。その度に何か身近なもので代用できないかと考えなくてはならない手間も生じる。

現地調達が可能な器具を用いた実験の様子

 

学校の設備面だけでなく、生徒の持ちものにも日本との差が見られる。最も違いを感じたのは教科書である。私の担当する学年の生徒は、誰 1 人として教科書を持っていない。つまり『このページの図にあるように…』といった授業運びは一切できない。その度に説明したいことを図示したり、表やグラフにまとめたりしなくてはならない。加えて、生徒は授業中に書いたノートに頼ることでしか授業の復習を行うことはできず、一度欠席などで後れを取るとそこから立ち戻ることは困難である。

生徒・教員のモチベーションに関しては、お世辞にも勉強もしくは教育活動に対し熱心であるとは言い難い。嫌いな授業は平気で抜け出し、外でぶらぶらする生徒もいれば、自分の授業を前触れなく休講とする教員もいる。ある時期に個人的におこなった調査では、 時間通り実施された授業はおよそ 6 割で、残りの 4 割は教員が 10 分以上遅刻、もしくは最後まで教員が教室に現れず授業が実施されなかった。日本人からすれば考えられないことであるが、社会的責任・義務に関する価値観が日本人とあまりにかけ離れているマラウイの生徒・教員からすれば大きな問題とは感じられないのかもしれない。

最後に授業レベルについても言及したい。現状把握のため赴任当初は他の教員の授業を頻繁に観察していたのであるが、授業時間が終わるまで間違ったことを教え続ける教員もいれば、教科書に書いてある文章をそのまま写すだけの授業を行う教員も数多く見られた。 教員からすればどんな授業を実施しようが給与が変わることはないので、自分ができることを淡々とやっていることが最もエコノミカルなやり方なのかもしれない。しかしながらこういった教育現場を目の当たりにして、これでは複雑な社会問題に対処していけるような優秀な人材は輩出されにくいと感じずにはいられなかった。

上記のような課題がマラウイ国内の学校に少なからず存在しており、生徒・教員・学校 のそれぞれが変わっていかなければ教育の効果は高められない現状にある。資源に乏しいマラウイこそ、人が育たなければ国は繁栄しない。化石燃料・鉱物といったものに恵まれた他のアフリカ諸国とは違ったスタイルで、マラウイは自国の成長を支えなくてはならない。

そういった意味で、マラウイの教育セクターに対する支援はいつか実を結ぶのだと信じている。

苦心の日々

課題は様々な場所に山積みとなっているが、一つ一つ根気強く挑み続ける必要がある。 当たり前のことであるが、私は毎日の授業を丁寧にこなすことを第一の目標とし、かつ同僚の理科教員に向け影響を及ぼそうと試みている。

担当する理科の授業では、座学のみの授業をできるだけ減らし、実験・観察の機会を増やすよう努めている。アフリカ・マラウイの子どもたちは、日本の生徒程おとなしく、行儀よくはしてくれない。実験等のアクティビテ ィを増やすことは、言わずもがな理解度を深めるためという効果もあるものの、生徒の集中力を保たせるための方策ともなっている。授業時間の終わりまで話すだけ、書くだけの授業は可能な限り避けたいのである。

実験器具の不足から行いづらい実験であっても、現地で調達できる物資を用いて実験を実施したり、体を動かしながら科学的な現象を学ばせてみたり、毎日が日本では思ってもみなかった工夫の連続である。 また、同僚教員の授業の質向上と授業未実施問題の改善にむけティームティーチングを行ったり、使い方が分からないため未使用のまま理科室に眠る実験器具のマニュアルを作ってみたり、自分の授業以外でもやれることは多い。

活動を開始してからおよそ 1 年、目に見える変化は訪れていないものの、前進を続けている感は確かにある。

教育の目的

マラウイで教鞭をとって思うことがある。『この子たちが勉強をする意味とは何なのだろう』というものである。

国家レベルで言えばマラウイの国としての成長を担う人材育成のため、個人レベルで言えば国家試験に合格するため、そしてより高給な職に就くためと言うこともできる。ただ私の個人的な教育理念における先ほどの問いの答えとして『よりよく生きる力を身につけるため』というものも挙げておきたい。

そしてそれを何よりも重視し、今後も忘れずにいたい。

国家の繁栄のためであるとか、学歴を以てして得られる収入であるとか、開発援助の世界ではそういったことが大々的に、経済学的視野を伴って語られることが多いように思う。 無論これらが重要であることは否定できない。けれども、個人の人生の豊かさや幸せを得るための能力開発のプロセスという意味での教育を忘れてはならない。これは開発途上国であろうが先進国であろうが言えることである。

俗に言うところの頭のいい大学に入るための学習が必ずしも正義ではない。それは初めて見る理科の現象に目を輝かせる自分の生徒の目に教えられた。 好奇心を伴った彼らの目は真剣そのものである。この目に出会って、教科書に書いていることだけを覚えるだけの、テストの点数を獲得するためだけの学びをできる限りやめさせたいと心から思えるようになった。協力隊に参加してよかったと本心から思えた瞬間でもあった。

授業中の生徒らの様子

私は今理科を教えることが主たる業務であるが、その場において全人教育という名の、個人の豊かな将来に向けた授業を展開できるよう心掛けている。学習することの目的は、知識を得ること、テキストの重要事項を覚えるだけではない。好奇心から何かを学ぶことの楽しさを知り、探求することで自らの能力を開発し、解明し、達成感を味わい、将来の生活に活かせる知性を磨くための時間を提供したい。

そのために時間と手間をかけてでも、考えさせる時間、仲間と協力し合う時間、課題に立ち向かう時間を大切にしようと考えている。教育支援は成果の見えづらい分野である。自分がどれだけのことができたかは、数十年先の未来に現れるのかもしれない。

しかし自分のやっていることがマラウイのためになると強く信じ、残りの 1 年も全力を尽くしたいと思う。

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